pin佐藤家の大変なお正月
(佐藤家の日常から66)
yoko
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今だから話せるのだが



佐藤家にとっての平成19(2007)年は、とんでもない事態で始まった。

1月2日午後3時半過ぎ、いつもの佐藤家の会話がくり広げられていたが、珍しく怒っているのはゆーただった。

「お母さん!去年の修学旅行の写真今日こそ持って来てよ」
「お正月だし、今日は頭痛いから、明日、いやあさってでいいでしょ」
「修学旅行、去年の11月だよ! もうとっくに現像してあるんでしょ。持って来てよ!」

頭が痛いのも当然、前日は4兄弟#1.に、ガイやあきも加わり、盛大な酒盛りだったのだ。2日はあきを除く全員が二日酔いだったのだが、ともかく、写真はとっくに出来ていた。ガイは、バイトしているコンビニでプリントアウトを済ませていたのだが、それを家に持ち帰るのを、何と2カ月近く、毎日、毎日忘れて来ているのだ。年越しまでしてしまって、いくら温厚なゆーたでも怒り心頭になるのは当然だろう。逆に2か月も待つ —— というのは、短気な私とは違い、堪忍袋の緒はかなり丈夫というしかない。

「分かったってば。今から取って来ます。あき、付き合って」
「ええっ? 何で?」
「暇だからいいでしょ」

と意味もなく強要する母親。あきも別段断る理由もないし、一緒に出掛けることに。

「あんだ。昔、歯にごま餅の黒ごま付いていたことあるよね。歯磨いた?」

とまた子供のころのエピソードを持ち出すガイ。実に大人げない。とはいえお出かけ前に歯を磨くのは女性のたしなみ —— と考えて、あきは洗面所のドアを開けた。
そこに私の妹が倒れていた。最初は着替え中でしゃがんでいたと、あきには見えたらしく「あっ、おばちゃんごめん」と言ってドアを閉めたが、何となく違和感が残ったという。そこでもう一度ドアを開け、妹に声を掛けた。しかし返事がない。

ここから佐藤家は、仕事で出掛けていた私を除いて#2.、大変な騒ぎとなった。妹は意識不鮮明のまま救急車で市立病院へ。
診断の結果はくも膜下出血。血圧がとても高く、すぐに手術すると再破裂の可能性が高いとの医師の判断。意識は戻ってはいたが、強力な睡眠剤で強制的に安静を保ち2日後に手術。心配された再破裂や複数破裂もなく、手術は無事終了した。
しかし、くも膜下出血の場合、ここから2週間が大変な時期なのだ。脳内出血した場合、その血の量などにより、血管が縮むという恐ろしい後遺症が出ることがあり、最悪の場合死亡するケースも、また重篤な後遺症の可能性もあるという。
意識が戻っても、混濁状態の妹。脳手術後の患者は暴れるケースが多い。手術した頭を触ろうするので、ひもで手のみならず、足もベッドに結ぶ。かわいそうだが仕方がない。兄弟、ばーさん、ガイ、あき、ガイの姉ちゃん、いとこなどの協力を得て、危険な期間も何とか乗り越えた。

後で、ばーさんから聞いたが、妹はたびたび頭痛を訴えていたという。しかしいわゆる「頭痛持ち」という程度の認識だった。妹も「今から思えば、2日はかなり頭痛がひどかった」そうで、ガイの二日酔いの頭痛とは違い、ここで時限爆弾にスイッチがはいったのだろう。そして午後4時ごろ、妹は早めの風呂に入った。
風呂から上がってかすかに覚えているのは、すごい頭痛とともにぐらぐらと世界が揺れ、洗面所の洗濯機に取りすがろうとしたということ。それ以降の記憶はないという。

まさに生命の危機にあった。私も今回初めて知ったが、くも膜下出血は3分の1が即死、しかも再出血の可能性が高く致死率は5割。つまり2人に1人が死ぬという、恐ろしい病気だった。
「くも膜下」という名前から、つい細い血管の破裂のような印象を持っていたが、くも膜という下にある血管からの出血で、その血管は、頚(けい)動脈から続く太いやつ、水道管でいえば本管の破裂だそうだ。
二股に分かれている場所に動脈瘤(りゅう)、つまりこぶができ、そのこぶは風船のように徐々に薄くなりながら、大きくなるという。実は成人の4〜6%から未破裂の動脈瘤が見つかるというから恐ろしい#3.

まさに生死の境にいた妹。しかし、佐藤家はいつものようにドタバタだった。
ガイは極度の忘れん坊だったし、ゆーたが珍しく怒っていて、あきは歯についたゴマを気にしていた。それは偶然の重なりなのだが、そのおかげで妹は倒れて数分以内に佐藤家のエースあきちゃんによって発見された。
妹の命は、ガイの忘れ物女王の血と、ゆーたの丈夫な堪忍袋の緒、そしてあきの食いしん坊伝説によって救われたのであった。

妹は近くに元夫が住み、行き来をしているとはいえ母子家庭だ。息子が学校に行っているときに、もし発病していたら —— と思うとゾッとする。考えて見れば佐藤家で倒れ、すぐに、あきが発見するようにし向けたのは、天国にいるじーさんの計らいだったのかもしれない


そして今、佐藤家にはほこりを被った家計簿が1冊ある。何度も挫折しているくせに、性懲りもなく「来年は絶対、きちんとつける!」と宣言して購入した家計簿だ。妹が正月からとんでもない事態に見舞われたこともあり、当然、家計簿の存在は吹き飛んでいた。
騒動が落ち着いたころにガイがひと言。

「これは、私に家計簿をつけるなってことだよねえ」

ガイよ。まさにその通り。慣れないことはすべきではないし、出来ないのだよ。


( のりお )

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あずみによる脚註
ほんと、大病で大変だったと思うけど、助かってよかったとしか云いようがないっす。
1.) 4兄弟:
佐藤家は私が長兄、東京にいる弟2人と、仙台近郊に住む妹がいる。余談だがガイは男女女女の末っ子であり、今時珍しい4人兄弟同士なのだ。 (この項:のりお)
2.) 仕事で出掛けていた私を除いて:
のりおくんは、肝心なときに居ないのね。つうか、居てもおろおろするばかりで役に立たないかも。と、思ってたら実際そうだったのね。以下のりおくんからのメール

実は、妹が倒れたのを俺が知ったのは2時間半後。

家に帰ると、あきが「お父さん。落ち着いて聞いてね…」と、事の顛末を、噛んで含めるように、冷静に説明した。

その理由は「お父さんには少し経ってから知らせた方がいい」というあきとガイの総合判断。

理由は言うまでもなく、必要以上に取り乱すから(^_^;

その通りなのが悔しい。

実際、あきの説明を受け、落ち着いたつもりで到着した市立病院のコイン式駐車場で、車の後部をこすってしまった(^_^;


ということで、ホントあきちゃんが第一発見者でよかった。なんにせよ、きみの場合はガイが健康でいることが何より重要なのだと思う。
3.) 未破裂の動脈瘤が見つかるというから恐ろしい:
兄弟に動脈瘤がある場合、通常より6倍も多く発見されるという。糖尿病でさえ2倍なのだから、極めて遺伝性が高いのだ。
「びびるマン」の東北代表とも言える私はかなり悩んだが、脳ドックを2月に受けた。結果は問題なしで、心底ホッとした。

なぜならば、動脈瘤が発見されても単純に治療すればいいという訳ではないのだ。こぶの直径が6ミリから9ミリの場合1年以内に破裂する確率は0.7%とかなり低い(でも143人に1人と考えるとやはり怖いのだが)。現在の医療レベルをもってしても、治療により逆に死亡もしくは重大な後遺症が出る確率の方が圧倒的に高いのだ。

つまり時限爆弾があるのは分かっても、開頭手術や血管内治療(こぶの中を微細なワイヤーで埋める)をするのか、放っておくのか。実に悩ましい問題に直面する。放っておくのを選択しても、日々おののきながら生活せねばならないし、小心者の私には耐えられないかもしれない。 (この項:のりお)




にしても、佐藤家の女性はいざというときに強いねえ。