pin大阪で食い倒れ
(佐藤家の日常から45)
yoko
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あきは修学旅行に行ってきた


高校生最大のイベントといえば、やはり修学旅行。あきの通う高校でも、2年生ご一行様が12月1日から5日まで4泊5日の日程で京都、大阪方面へにぎにぎしく行ってきた。
もちろん、あきはこの手のイベントに灼熱の太陽のごとく燃えまくるし、その食いしん坊精神から「食い倒れのまち・大阪」へ寄せる熱い思いをも抱いていた。いつもに増してテンションは高く、おいしいお店を入念にチェックするなど準備万端で出かけた。そして楽しい思い出をどっさり抱え、ご満悦でご帰還と相成ったのだが…。

出発した日の夕方、あきから一通のメールが届いた


 ○12/1 PM5:48 あき→紀生 『Re: 大丈夫か?』
「救急車で運ばれた。入院してもおかしくないって…胃腸炎だって…今日一日入院だって(涙)明日薬つかってだめなら入院だって」

ちゅどーん!「救急車?」「入院?」何それ?一瞬にして佐藤家は上を下への大騒ぎなった。あきに電話で連絡を取ると、大阪船員保険病院#1.に緊急入院したという。熱も8度近くあり、お腹もかなり痛いそうだ。食中毒の疑いもあり、検査をしたという。「食中毒?」
実は出かける前の日、あきは気仙沼市内のレストランで、評判の「たらこスパティー」を食べお腹を壊していた。その後一時回復したが、しかし気仙沼を出発するときには少し腹痛が残っていた。
そこでガイの命を受け、具合を確かめるメールを何通か送っていた。一時は「新幹線の救護室で休んでいる」などという心配な返事もあったが、メールの文面からはそんなに深刻さは伝わってこなかったし、付き添いの先生が持参していた胃の薬を飲み「少し良くなった」という返事があった。その後はメールもなく、返事がないのは元気な証拠 —— とばかり安心しかけていた矢先に、いきなり「救急車」が、てぽどーん!と来たのだった。
佐藤家はパニックに陥ってしまった。心配性のばーちゃんは仏壇に向かって「孫を守らないで、寝てたんじゃないの?だめだっちゃ」と、昨年死んだじーさんのせいにするわ、ゆーたは青い顔でオロオロするわ、ガイもいつもに増して眉間にふかーい深いしわを刻んで仁王立ちしている。生命の危機はないだろうが、食中毒としたら、やはりただ事では済まない。あれだけ楽しみにしていた修学旅行も、もちろんパーになる。
その後、担当医から電話があり「食中毒や虫垂炎の可能性はあるものの、病状はさほどひどくはない。点滴をしたら痛みも和らいできた。食中毒の菌が発見されれば、即退院というわけにもいかないが、回復した場合は明日の見学先に合流させる」との説明で、佐藤家もようやくいくらか落ち着きを取り戻した。
さらに、付き添ってくれた保健の先生や本人からの連絡で、今はうそのように痛みがなくなり、心配された熱も徐々に下がったという。先生と2人でNHK大河ドラマ「利家とまつ」に涙し、あきは点滴している自分とか、病院の医師、保健の先生なども携帯電話のカメラで記念写真を撮っている。転んでもただでは起きないやつだ。
点滴あき

お休みコールではガイに、昼食に出た肉そぼろ弁当を食べそびれたことの悔しさを訴えるなど(その食い意地が原因で入院しているのになあ)、いつものあきに戻っていた。「これなら明日は、みんなと合流できるかも」と家族は安どし、佐藤家の長い一日はようやく終わった。訳も分からず、ばーちゃんから怒られたじーさんの仏壇からは線香の匂いが漂っていた。

翌日。検査の結果はシロ。体調も問題なし。という医師のお墨付きをもらい、あきは、図らずも修学旅行一日目の宿泊先となった病院を退院。1時間半遅れで、他の生徒と合流した。やれやれ。とんでもないお騒がせ娘だ。
世の中には、体調を崩し修学旅行に参加できなかった人や、あきのように病気になったり、けがをしたりして、途中で旅行から離脱した人もいるんだろうから、まさに不幸中の幸い。悪運が強いのか、「寝ていた」とあらぬ疑いをかけられたじーさんが、はるばる大阪まで行って、守護霊となったのか、単に母親譲りの並はずれた体力のおかげかは分からないが、結果オーライ。しかも佐藤家のヒロインとして、きっちりお笑いの領域で収まる騒動にしてしまうところが、何とも素晴らしい。天が与えし才能なのか?とにもかくにも「終わり良ければすべてよし」とせねばなるまいて。


その後も心配なのでちょくちょくメールした。

合流後からのメールを続ける。は私からあきに。はあきから私へ。カッコ内は絵文字。#2.


 △12/2 PM0:57 『楽しんでる?』
「お腹大丈夫か?今度は食べ過ぎるなよ(笑)」

 ○12/2 PM0:58 『うん@』
「ありがとう!今は元気にジェットコースターのったよ!ありがとう!☆」

大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパンからのメール。めいっぱい楽しんでいる(笑)

 ○12/2 PM3:10 『無題』
「よくなってよかったあ(笑顔)(ピース)楽しかったよ!みんなとは1時間半遅れたけどみんな心配してくれてうれしかった♪♪♪」

こんな生徒やだ!担任のEどう先生は1,2年と担任している。心からお悔やみ申し上げます。すんません。

 ○12/2 PM5:01 『無題』
「清水寺はいいね(笑顔)八橋の試食・一口サイズ4種類たべたよ(ピース)だって昨日の夜絶食で朝ご飯もおひたしとみそしるだけだったんだもん!無理しないでがんばってるよ!そのとこでチョコレート生八橋おいしかったからシオリと割り勘しておみやげかったから(笑顔)(笑顔)」

よくなったとたんにこれだ!全く食い意地が張っているんだからなあ。心配をたっぷりかけた先生や同級生も驚いたという回復ぶりだったというし。まあ、(笑顔)(笑顔)だから、許してやるか。でもクギを刺して置かないと…。

 △12/2 PM 5:03 『食い倒れ』
「食い倒れはもういいからな!食べ過ぎんなよ」

 ○12/2 PM5:10 『Re: 食い倒れ』
「うん(笑顔)控え目にがんばるよ」

だから、頑張んなくていいから…。でも元気になったので、あまりメールでじゃまをしないようにした。

楽しい一日でよかったね。本当に。さて修学旅行も3日めに入る。


 △12/3 PM6:14 『今日は楽しかった?』
「おなかは大丈夫か?」

 ○12/3 PM6:15 『Re: 今日は楽しかった?』
「今すきやきだからあとで(ハート)」

うはは!いけない、いけない。食事時にメールしたのが悪かった。目をキラリンとして、すき焼きを攻略している、あきの姿が浮かび、佐藤家は大笑いしたのだった。ようやく、すき焼き戦争も終えたのだろう。再びメールが届いた。

 ○12/3 PM6:40 『Re: 今日は楽しかった?』
「今日は人力車にさやとのったよ(ピース)(キラキラ)お茶屋でみたらし団子と茶団子を食べたし(ハート)(ハート)でも腹八分目にしたからねん(笑顔)」

やっぱり「あきの食い倒れ日記」だ(笑)。そして旅行は4日目へ。


 △12/4 AM10:35 『おっはー』
「って、サヤのじいちゃんのメールのまね。気仙沼は雨降って、どよーんとした天気だよ。寒いし。ばあちゃんからの伝言『くれぐれも腹八分でね』#3.」。

 ○12/4 AM11:23 『オッハー(笑顔)(ピース)』
「私は今京都御所いったよ(ハート)んで降水確立70を見事(キラキラ)(キラキラ)(キラキラ)私の晴女パワーで晴れにしたよ〜(太陽)(太陽)ヤッタネッ(クルクル)(クルクル)後今から仁和寺でいっぷく茶屋♪♪♪」

もう絵文字だらけ。パワー全開である。

 △12/4 PM8:55 『明日』』
「夕ご飯何食べたいーってお母さんが言ってるよ」

うはは。早速、気仙沼に帰って来る日の夕食の相談だ。この返事は電話であり、慎重審議の結果、あきちゃんお帰りなさいディナーは、大好きな「おでん」になったのであった。そして最終日。気仙沼への移動日。


 △12/5 AM10:58 『今、どこ?』
「新幹線?」

 ○12/5 AM11:02 『新幹線の中だよ(ピース)(キラキラ)(笑顔)』
「浜名湖をみてるよ(ハート)(ハート)今日は久しぶりに家だ(太陽)なんか楽しみ♪♪♪」


と、体調が良くなってからは、食い物の話題を中心としたメールに終始して、あきは「無事に」佐藤家に帰ってきたのであった。
家に着いたあきからは、ステッカーとへんてこなデザインのマッチ、そしてこれをおみやげとしてもらった。あまりありがたくないおみやげだなあ!

病院パンフ


翌日「あきちゃんの珍・大阪食い倒れツアーご帰還パーティー」を、気仙沼市内の居酒屋で開いた。そのときの元気なあきと私。そして。ゆーた、ガイ、ばーちゃんの、気疲れの若干残る安どの写真をご覧いただいて、今回は幕引き、幕引き。

写真は外しました 写真は外しました


( のりお )

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あずみによる脚註
ほんとうは、脚注ポイントはもっとたくさんあるんだけど、今回はちょっと手抜き。
1.) 大阪船員保険病院:
やっぱ、気仙沼の子だから船員病院に運ばれたのだろうか。って、そんな訳ないんだけど不思議かも。
2.) 絵文字:
携帯の絵文字は知らないので勘弁してね。みなさん適当に当てはめて下さい。
3.) 『くれぐれも腹八分でね』:
のりおくん、さっきから喰い過ぎるなばっかり云ってるけど、あきちゃんからの話題が喰いものについてばっかりだからなあ。ともかく、無事でよかったよなあ。




あきちゃんの食い倒れレポートを読んでみたいもんだなあ。