pin以心伝心姉妹
(佐藤家の日常から81)
yoko
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7月8日は母の初めての命日。


一周忌法要は1週間前に済ませていた。蒸し暑い中、墓参りをした。自宅にはガイの姉二人、そして義理の姉など数人が線香を手向けに来てくれた。田舎ゆえ、義理堅くもありがたい。

長姉のナオコ姉ちゃんと、すぐ上のトコ姉ちゃんは#1.一緒に来た。この2人と末妹のガイは似た者姉妹。性格のおおもとがよく似ている。楽天家であり、おおざっぱ&話し好きだ。
3人そろうと話が止まらない。話題は家族、食べ物、友人、食べ物、そしてテレビの芸能人、食べ物と、尽きることがない。#2.

ガイからスタート
「あっ、さっきジュンコ姉ちゃん(ガイの長兄の奥さん)が来てね、うちの兄貴さあ、ふふふ…車でね、掛けたまま外に出たんだって。ふふふ…」
姉2人が話を受けて
「ふん、ふん」
「それでね、ジュンコ姉ちゃんに電話してきて、『そっちにないか』って。へへへ…」
「あらあ、そうなの」
「しかし。兄貴もドジだね。それでジュンコ姉ちゃんが、あきれてね。仕方ないから、予備のやつ、届けたんだってさ」
「あはは」「うはは」
「しかしキー閉じ込みなんて、最近あなんまり聞かないよね。トコ姉ちゃん、昔やったっけ?あれ、ナオコ姉ちゃんだっけ? 」
二人そろって
「あんだで、ないの? 」
「え〜。私、ないってば!! 」


そう! 無いのだ!! 無さすぎるのだ。


それは…。


「主語! 」

それでも何のよどみも、疑問もなく、会話はさらさらと流れ、全く滞ることがない!

前述の会話では 「カギ」という主語がない。
しかし。ガイと姉2人の会話を見聞きしていたが、冒頭の「車でね、掛けて出た」というガイの主語抜き会話、それを聞く姉2人の表情は全く変化がなかった。普通は「えっ? 」とか「何? 」とかの違和感、はたまた「ふふん、たぶんあれね」といったしたり顔など、そうした微妙な心の動きが表情に出るものだが、それが一切なかった。

ガイの兄は長らく自動車学校の教官を務めた。3人の妹からすれば、その兄の車にまつわるチョンボは、格好の笑い話なのだ。3人とも「ははは」「ふふふ」「へへへ」と笑っている。

会話が一段落した後、「今のガイの話、車のカギという主語なかったよねえ」と指摘すると、ガイも姉2人も逆に「そうだっけ? 」という有様。ジュンコ姉ちゃんが受けた電話の「そっちにないか」という下りでも、主語がなかったので、何をかいわんや。
しかも主語を入れても「車でね、カギを掛けて出た」から「キー閉じ込み」を瞬時に見抜くには、情報が足りないぞ#3.。話の流れから、隠されたキーワードは「キー」に違いない! ─ と推理しているのだろうか? にしても自然体すぎる。

トコ姉ちゃんいわく
「いっつも、こうだから慣れたのかな? 」
そういう問題なのだろうか?

ナオコ姉ちゃんいわく
「話しているうちに分かるからかなあ? 」
そういう問題なのだろうか?

ガイいわく
「いいっちゃ。通じるんだから。以心伝心#4.というやつだね」
そういう問題なのだろうか?

ガイのメール
「何にする? 」
私の返信
「ネギトロ丼」
そういう問題なのだろうか?#5.


gai4sis
2010年の正月、佐藤家の茶の間でガイの以心伝心の奥義を
談笑のうちに授かりつつある、お姉さん二人とあきちゃん。
註:使用許諾を得ていない写真につき、そのうち消すかも (この項あずみ)。


( のりお )

yoko
yoko

あずみによる脚註
そういう以心伝心は、押しつけみたいでイヤかも。

1.) トコ姉ちゃん:
トコ姉ちゃんとガイの以心伝心については、補完しあう姉妹▼もご覧下さい。そういえば、トコ姉ちゃんは、クルマそのものをうっかり▼したことがあったねー。
2.) 食べ物と、尽きることがない。:
つまり、間に食べ物が入るからエンドレスになってしまうのねー。
3.) 情報が足りないぞ:
「車でね、掛けたまま外に出た」では論外、「車でね、キーを掛けたまま外に出た」これでもなんのことかサッパリ、「車でね、キーをつけたままロックした」なら分かる。つまり、主な述語は「外に出る」ではなく「ロックする」でなくちゃならない。ここでは、主語がなく述語がでたらめでも、正しい内容がなんのストレスもなく伝わっている。恐ろしいことですね。。。
4.) 以心伝心:
大辞林によると以心伝心とは、禅宗で言葉では表せない仏法の神髄を無言のうちに弟子に伝えること、らしい。つまりお姉ちゃん二人はいつの間にか、ガイ僧正から奥義を授かっているのですね。いやはや。
5.) そういう問題なのだろうか?:
ということは、ギッチョムさんもか。じゃあ、当然あきちゃんにも伝わっているはずだが、こっちはなんか奥義にバリエーションがありそうだなー。




つまり、ガイの言葉には力がある。いや、言葉に力あるのではなく
勢いに乗って押し込むように喋るから伝わる、ということなのかなもしれんなー。