pin突きつけられた三つ子の魂
(佐藤家の日常から93)
yoko
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4年前に78歳で亡くなった母には「妹」がいる。


その「トキコおばちゃん」は、実の妹ではないが母ととても仲が良く、毎日のように母の実家に出入りしていて#1.、まさに姉妹のように育ったという。年は9歳離れているが、母をずっと「ねえちゃん」と呼んでいたし、母が亡くなったいまでもそうだ。
私も昔から「トキコおばちゃん」と呼び、本当の叔母ではないが、母の従姉妹とか親類だとしばらく思っていたくらいだ。
トキコおばちゃんは、長年、小田原市に住んでおり、母が存命のときは帰省のたびに訪ねてきてくれた。以前から折に触れて電話や、みかんなどを送ってくれ、お返しに気仙沼からは、サンマなどを届けた。母の死後も、そうした交流は続いており、電話を取り次ぐことの多かったガイとも自然と仲良くなり、季節の便りのお礼に電話をすると、お互い話好きということあり、長電話になることも多い。

今年は、お彼岸が過ぎた9月末にトキコおばちゃんはやってきて、仏壇で久々に母と再会してくれた。そして私を交え、サンマのすり身汁と炊き込みご飯の夕食をいただいた。食後、私がちょっと席を外して茶の間に戻ると、ガイが大笑いしながら言った。
「トキコおばちゃん、その話、紀生君に直接話してやって。うふふ!」
と。

 
話は何と52年前にさかのぼる。そのころ私は4歳ちょっと前、父母と弟と東京板橋区に住んでいた。
母は下の弟を昭和37年3月上旬に出産。私と上の弟もおり、トキコおばちゃんは私たちの子守りを頼まれ、急遽気仙沼から上京してきたのだという。
トキコおばちゃんが、私たちの子守りをしたのは2週間ほど。私の4歳の誕生日をまたぎ、上の弟は2歳9カ月、トキコおばちゃんは20歳か21歳という若さだったことになる。

そのトキコおばちゃんの話だが、とにかく私は気仙沼弁で言えば「せづない」わらし#2.だったらしい。落ち着きがなく、うるさく、部屋の中を走り回るは、弟と暴れ回るは、若いトキコおばちゃんは、本当に手を焼いたという。

「いくら言っても聞かなくて」
「やめなさい!!── と言えば、よけいに面白がって、より派手にやるし#3.
「我慢できなくて、最後には『おねえちゃん、本気で怒るよ。もうやめなさい』って怒鳴ってしまって。本当に大変だった」
とのこと。

「えっ?そんなに、せづなかったんですか?」
と戸惑う私。

ガイはもう目が『おれは鉄平』状態#4だ。
「怒られた後、あんだ何したと思う? 」。

いやな展開だ。ガイの目がもう勝ち誇っている。
トキコおばちゃんが促されて続ける。

「安産のお守りだと思うんだけど、居間の柱にお札が貼ってあったのね」
「紀生君ね、弟を連れて来てね。私の目の前で2人で正座して、お札に手を合わせたの」
「そしてね。拝むの。2人で『おねえちゃんが早く田舎に帰りますように』って」
「私も若かったから、それがまた悔しくてね#5

もうガイは「しばらくはこのネタで佐藤紀生をいじめることができる」という、「伊賀のカバ丸」が初めて海老フライを食べたとき#6のような、満面の笑み状態なのであった。

「いやあ、子どもだったからなあ。ははは…」
「まっ、子どもやることだから。いやあ、はは…」

これはまずい!

「あんだ、ひどいね!ノブオ君(上の弟)まだ2歳で、何にも分からないのに、従わせて、おばちゃんにひどい仕打ちして」
「そ、それは…」

「ねえ、トキコおばちゃん、3歳の子どものくせに、生意気だよねえ」
「うん。紀生君はね、言うこと聞かないし、わざと逆のことをやるし…」
「あー、やだやだ。うふふ。『早く帰ってください』なんて本人の前で、うふふ」

ということで…。トキコおばちゃんが帰った後も、ずっと物心つかない3歳のころの話でガイのパンチを浴びるはめになった。

3歳の私のやったことをまとめると

1. 本人に直接、面と向かって言う勇気がない。
2. しかし自分の気持ちは抑制できないので、陰険な手段に訴える。
3. しかも自分一人でやらず、数を頼もうとする。
4. 結果、相手をとても嫌な気分にさせる。
5. 3歳にして「しょせんガキのやること」という計算もそこはかとなく感じる。

うーむ。「三つ子の魂、百まで」とは言うが…。55歳になって、突き付けられる、この事実。
まっ。ガイが就寝前などに「あっ、あんだまたトイレの電気付けっぱなしだよ!」などと怒るたびに、「早く、ガイが寝ますように」などと拝んで、笑いを取っているので、いいか、うはは!


( のりお )

yoko
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あずみによる脚註
これは、過去の亡霊がよみがえったみたいで、面喰らったろうねー。

1.) 毎日のように母の実家に出入りしていて:
昭和初期、子どもが溢れていた時代には、よそのうちで子どもが育つなんてことはよくあったみたいですねー。
2.) 「せづない」わらし:
せづないわらすともいうが、落ち着きがなく、少しもじっとしていない子どものこと。元は「切ない」だと思うが、なんで切ないがうるさいになったのでしょうね。
3.) よけいに面白がって、より派手にやるし:
そうそう。へそが曲がってるので、反射的にそうやっちゃうんですよー、トキコおばちゃん。
4.) おれは鉄平』状態:
「おれは鉄平」は、1973年から80年まで少年マガジンに連載された一種の学園ものマンガ。ちばてつや作。主人公の鉄平は、小柄だが抜群の運動神経とスタミナを持つ自由奔放な野生児で、数々の問題を引き起こす。悪だくみを考えたり、楽しいいたずらを思いついたときなど、目が特徴的な逆三日月型になる。
5.) それがまた悔しくてね:
いまでもこうやって思い出すんだから、よっぽど悔しくて、強烈な印象が残っているのですね。のりおくんは悪いやつだねえ(^^)
6.) 「伊賀のカバ丸」が初めて海老フライを食べたとき:
「伊賀野カバ丸」は、1979年から81年に別冊マーガレットに連載された、一種の学園ラブコメまんが。亜月裕作。カバ丸は山奥でじいさんから忍術を仕込まれた本物の忍者にして、野生児。大食いで大好物は焼きそばだが、海老フライも大好き。ガイの愛読書。しかし、ガイはもう嬉しくてしょうがないのですねえ。素直な性格だねえ。




でも、のりおくんは3歳にしてこんなに才気があったのだから、あとは勇気さえあれば大物になったかもしれないのにねー。