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pin 伏せ字の絶対音感




絶対音感という才能があるという。どんな音でもそれが楽譜上に固定される。音楽はもちろん、車の走る音、電話の呼び出し音、ガラスの割れる音、はたまた心臓の鼓動だって、彼ら彼女らにはドレミの音として聞こえるそうだ。
「あくびは『ファー』で道路で掃除するおじさんは『レレレ』でねーのか」だって?断じて違う。その絶対基準があればこそ、聴き取りだけで元歌と寸分違わないカラオケをつくることができるのだ。
しかし。いいことばかりじゃない。全部がドレミとして聞こえるんだもの。朝「ファー」とあくびした音は「シー」で、馬が「ドドド」と走れば「ミミミ」。空を見上げりゃあ「ラソ」がある(これはたぶん違う)。
 いきなり下ネタで恐縮だが、Hなんてうるさくてできやしないぞ。
「ドレドレドレ」
「シーーーーー!」
「ソファ、ドミミ?ドファラ♭、レミ!レミ!」
「ミ#ミ♭ミ#ミ♭ミ#ミ♭ミ#」
「ラー!!ラー!!」
「ファ#ア<<<アアアア>>>ァ♭ァァ・・・」
「ドミソ#ド」
「ドミソ#ド」
「ラ」
「ラ」
うーん。すごい世界だな。テンポもエログロ、もといアレグロからギャロップ、そしてモデラートへと変わるし、スタッカートもあればリズムパターンももいろいろだ。しかし音楽家同士のHが伏せ字になるとは知らなかったなあ(嘘)。
 まあHは2人の美しいハーモニーかもしれないが、日常生活はむしろ不協和音だらけ。苦痛の方が多いだろうな。同情申し上げたい。
血のにじむ訓練をへて超一流の演奏家になったピアニストが「音楽を楽しんだことがない」と嘆いた話を聞いたことがある。さもありなん。立派な職業病だ。プロとしては完ぺきでも、楽しむ余裕がないとしたら、これは不幸だよなあ。まあ、皆が皆そうじゃないだろうけど。
 絶対音感のようなたぐいまれな才能ではないとしても、訓練を受けたプロは往々にして、自分の「物差し」にがんじがらめになる。物事を純粋に楽しむアマチュアの部分があればさらに一皮むけ、自由な世界を広げてくれるのではないかと思う。
「絶対音感」(最相葉月:小学館 1998年3月 1600円)という本が売れているそうだ。才能というものに人はあこがれるもんだわな。音楽が好きなくせに、音楽的才能がない —— というひがみもあるが、まあもし万が一、音楽を純粋に楽しめなく可能性があるとしたら、願い下げしたい才能ではある。
 でも一度は「ドファラ、レミ、麗美、令実、鈴未」のHはしてみたかったなあ。

(佐藤 紀生)
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