11/24/2003 up   ホーム  インデックス

pin ブレンド賞と作文




「作文は得意だったんでしょ」と、よく言われる。
曲がりなりにも新聞記者なので、そう思われるのだろう。しかし事実は全く逆。作文は苦手だった。特に読書感想文というシロモンは、苦痛以外の何ものでもなかった。目の前の真っ白な原稿用紙を前にため息をつきながら、粗筋だけ読んででっち挙げた文章を嫌々書いていた。あんなの好きだなんて人が不思議だ。
商売上、作文入賞者の文章を読む機会も多いが、中にはあまりにも「よく出来た」文章も多い。露骨に加筆・訂正した大人(親?先生)の息づかいが聞こえてきそうなものまである。少なくとも小学生には必要ないと思うな読書感想文は。それより先にみんなで、自由に感想をカンカンガクガクできる授業の方が大切だと思う。だって意見を求めても、みんな同じような答えばかりなんだもん。一人が「とても感動しました」というと後は右へならえ。「僕も敏哉君と同じです」が続く。だから大人になってもスポーツ観戦の後に「感動をありがとう!」(註1.なんて不抜けた多幸症の言葉しか出てこない。やだよう。脱線した。本題に戻る。
中学1年の時。たぶん成り立ての頃だと思う。「中学生になって」という題の作文があった。何も書くことが浮かばず「午前7時、起きる。7時半、朝ご飯…」てな感じで個条書きで提出。名指しで先生から怒られた。当たり前だよなあ(笑)
作文アレルギーから抜け出したのは高校3年のとき。30代以上の気仙沼人なら覚えている人も多いだろう、ガトーというジャズ喫茶店に通い初めてからだ。
店内に備え付けてあった落書き帳がきっかけだった。マスターが気に入った文章に「ブレンド賞」をくれた。賞品はコーヒー1杯。少ない小遣いをやりくりして通っていただけに、とても魅力的だった。初めはおずおずと書いていたが、持ち前のなれなれしさで、下手な文章を乱発(註2.しているうちにアレルギーは完治していた。
物を書くことは嫌いではなくなったが、今でも得意だとは思っていない。今度、我が地方新聞「気仙沼かほく」の文字が一回り大きくなった。1行当たりの字数が1字減って11字に。より簡潔明瞭に書く必要があるのだが、無駄かつ無意味な文章(註3.になりがちなだけに、四苦八苦している。
実際、文章で何が一番難しいかというと、この削る作業だ。書き散らしの妙味もあるが、それを狙って書くというのは逆にとてもテクニックを要する。テクニックというより、話芸で言えば絶妙な「間」がいる。これは生まれついたセンスと、かなりの鍛錬があって達する境地だと思う。凡人はラクダのよだれのようなだらだら垂れ流し、工場廃液のような文章になるので気を付けましょう(註4.
さて、いい記事書いたら、いつもの発泡酒に代わって「ビール賞」ぐらいくれないかな。誰が?ガトーでの落書きが十年一日「また来ます。ガイでした」を続けたあるお方。一度もブレンド賞を勝ち得たことがない、自他共に文章ベタを認める女房(笑)

(佐藤 紀生)



註1.:「感動をありがとう!」
・あなたのおかげでわたしは感動することが出来ました。どうもありがとうございます。ってことかな、でも、そもそも感動は内にくるもので、それを表現するならどのように感動したのかそのへんは最低云うべきなのに、そこを飛ばして他人に媚を売る、あるいは新たな感動をリクエストしているようで、じつに完全に他人に依存しきった不愉快な論旨だな。まだ「感動した!」と云い切るほうがすっきりしてるね。

註2.:下手な文章を乱発
・のりおくんの文章は、一回も下手だと思ったことはないし、あの落書き帳のは上手に書けているものが多かった。そもそも何のために書いてたかというと、下級生の女の子に目立ちたいためだから、そらあ気合いも入るだろう。たしかに毎回確実に目立ってたけど、それはもう、字がさっぱり読めないから目立ってたのであって、内容が伝わらなければまったく意味がないのにどうしてあんなに頑張れたのでしょう。ともかく、良い修業にはなったよね。お互いにさ。それはそうと、ガトーのノートはまだ纏められず、とてもすまないことだと思っています。天国のマスターごめんなさい。

註3.:無駄かつ無意味な文章
・のりおくんの場合は、無駄かつ無意味というのは問題ではなくて、そういう内容からどう笑いをとるかとか、どういう切り口を見せるのかとか、無意味から浮かび上がるなにか変なものとかが大切なので、たぶん人より苦しいんだろうな。ともかく、もっと四苦八苦してね。(以上:あずみ)

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Whatcha Gonna Do For Me? / Ned Dohenyby