11/22/2009 up   ホーム  インデックス

pin 世間様と民主主義




民主主義とは「人の考えは違って当然、心と行動は原則自由。拘束すべきことは民主的に規則を決める」ということ。民主国家であるはずの日本だが、わたしたちは規則よりモラルを優先しがち ── と筆者。モラルを形成するみんなの総意を「世間さま」(註1.と表現した。
モラル優先の例として挙げたのが童話の改ざん。「アリとキリギリス」では本来、キリギリスは餓死するが、日本では「反省した」キリギリスが「みんなと仲良く暮らした」と改めてある(註2.。餓死で表現した教訓は失われた。日本では「世間さま」に従う者は救われるのだ。
民主主義の本質は多数決だが、日本では「少数意見(弱者)切り捨て」と責め立て、「行政(お上)が救え」という主張をよく聞く。しかし改善の必要性をも多数で決するのが原理であり、モラル優先は「お上至上主義」に陥る危険性があるのだ。遠山の金さんや水戸黄門。日本で多いお上のヒーローはその証左か。
モラル優先は決して悪ではない。西欧人は思想信条、宗教が異なる多民族が共存することもあって「民主主義」を大切にしてきた。対して日本は共通のモラル感を持ち、正義感と思いやりに満ちた社会をつくってきた。
世間さまと民主主義が交錯する中、民意とは何か、政治とは何かを考えていきたい。


(佐藤 紀生)



註1.:「世間さま」
・モラル、あるいは道徳でもやはり分かりにくいのだが、世間さまというととても分かりやすくなる。その辺も、我々の生活に密着している言葉だということなんですね。

註2.:「みんなと仲良く暮ら した」と改めてある
アリとキリギリスの真実? ▼によると、戦後日本で出版されたアリとキリギリスの本には様々な結末があり、多い順に、分けてやらない、分けてやる、どちらか分からない、となるそうです。部数別に統計をとれば違う結果になりそうだけどね。日本だけが分けてやるという風に云う人も多いけど、分けて上げると云う結末は古くからあり、最も有名なのは1934年公開のディズニーの短編映画▼だそうな。日本では分ける、という風に単純ではないようだ。でも、まあいかにも日本的なオチではあるんだけどね。 (以上:あずみ)


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Larks' Tongues in Aspic, Part Two / by King Crimson