pinのヴィー太の憂鬱
(佐藤家の日常から88)
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何事にも相性がある


人同士はもとより、「馬が合う」の言葉どおり、人以外との相性もあるのだろう。
それは道具や機械にもあるのだろうか? 非科学的だが、でも確かに「しっくり来る」「来ない」というのはある。

かく言う私。機械との相性があまりよくない。

パソコンのデータを保存する外付けハードディスクにおちょくられたり#1.、2008年、買い替えたばかりのステレオのアンプの電源が約2時間後に「お休みなさい」と、低くつぶやくような「プッ」という音ともに下り、永眠した#2.。パソコンに繋ぐ、おフランス製の外部スピーカー。スリープ解除時などに、マイクがキーンとなるハウリング以上に耳障りな音を出し、閉口した#3.。震災後は、買った蛍光灯が故障していた。

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震災後買ったつり下げ式の蛍光灯照明#4.

会社のパソコンにも、私が操作するとなぞのフリーズを繰り返すものがある。
静電気が溜まりやすいタイプだが、直接の影響が考えられるケースは思い当たらない……。不具合の度に、無実を訴えるのだが、機器管理担当の同僚の目は冷たい。明らかに疫病神扱い#5.。やはり機器との相性はあまりよくないようだ。

2011年3月11日
女川町役場前に置いてあった愛車、トヨタのウィルサイファが大津波で海の藻くずと消えた。8年間で15万キロ走行し、いろいろ思い出のある相棒だった。

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夕日にたたずむ WiLL Cypha #6.

震災後、約1カ月は会社が調達したレンタカーで取材した。5台を9人で使う状況。徐々に取材活動が本格化する中、各自、車を調達する必要に迫られた。しかし震災により、新車は入手困難、中古車も在庫が不足する中、1日経つごとに値段は右肩上がりの状況だった。
そんな中、友人から車を譲り受けた。親友の娘さんの愛車で、廃車を予定していた。車検代だけ負担するというただ同然で、新しい相棒を手に入れた。4月6日と日記にはある。
その車はドイツ、オペル社の「ヴィータ」。右ハンドルだし、1400ccとコンパクト。外観も外車らしくなく、「あれ、どこの (社の) 日本車? 」てな印象だった。

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外車らしくない OPEL VITA #7.

譲り受けた時点で10年落ちながら、走行距離は約9万キロ。日本車と同じく、頑丈なドイツ車だ。「感謝」の一言しかなく、「車検代だけでいい」という、親友の厚意に甘えた。この親友には震災直後にも、派手な下着を含め古着をもらった#8.。何度感謝しても、し過ぎることはない。

譲り受けたヴィータ。震災後のがれきだらけ、地盤沈下し海水で濡れた道路をたくましく走ってくれた。
「のりおが乗るヴィータ」。「のヴィー太」(笑) と命名#9.し、取材の相棒として奮闘してくれた。
しかし、車としては初めての外国生まれの相棒。やわな体の私にとって、がっちりしたシャシは安心感はあるものの、路面の凹凸を忠実に拾う律儀さで、老骨にはつらい。単身赴任中ゆえ、石巻─気仙沼間80キロの道のり、60キロを過ぎる当たりから腰に鈍痛が出て、これだけは閉口した。道路状況も悪かったこともあるのだろうが……。

コンビを組んで半年余り。走行距離が10万キロを超えた昨年秋から、「のヴィー太」に異変が出始めた。
前兆となったのが、昨年10月16日。右ヘッドライトが点灯しなくなった。気仙沼から石巻へ戻る途中、異変に気付き、確認したら点灯していなかった。午後5時過ぎ。薄暮はどんどん本格的な夜へと移りつつあった。どうしようか悩んだが、フォグランプを点灯し、車幅を対向車に気付いてもらえるはずと考え、慎重運転でどうにか石巻にたどり着いた#10.
翌日、ヤナセ提携整備工場へ。ランプの寿命だと思ったら、何とショートしていた。取り付け部分が黒く焦げていた。火災の原因にもなるという。やばい。在庫があった中古品と交換。ランプは無事だったので、工賃のみ。思ったより安上がりだった。ホッとした。

安堵したのも束の間。8日後の10月24日。今度は左前輪がパンクした。余震かと思った。気仙沼に帰る途中、三陸道の河北インターに乗る直前だった。近くに一般の修理工場があり、すぐにスペアタイヤに交換。三陸道でパンクしたら危険だし、交換も面倒だったので、その意味では運がよかったと胸を撫で下ろした。「ヘッドライトもすぐに直ったしな。ちょいとがさつだが、ドイツの相棒との相性はそんなに悪くないかも…」。そんな気になった。

しかし甘かった。
ここから相棒の調子がどんどんおかしくなっていく。
11月に入り、エンジンが1発始動せず、セルを2、3回ひねる日々が続いた。「寒さのせいか」と首もひねっていた。
しかし11月15日、女川町の北部にある尾浦港。ギンザケ養殖復旧の取材を終え、帰ろうとセルを回したところ、うんともすんとも言わない。冷や汗が出る。女川町中心部まで10キロ。整備工場までは25キロ以上ある。祈るようにセルを回すこと、10数回。やっとセルが回り、エンジンが掛かった。
これは間髪を容れず整備工場へ直行した。エンジニアが調べたらバッテリーに問題があるという。即、交換。セルは勢い良く回り、もちろん1発始動。「よかった」とまたも胸を撫で下ろす。ただバッテリーは国産車とは違い、何と数倍のお値段。工賃と合わせ約4万円はちと痛かった#11.。「相棒、お手柔らかに頼むよ」と、苦笑した。

苦笑の翌日。顔面が凍り付く。取材中、再び、セルが無反応に。セルが回らない。5回目で回った。「朝は1発始動だったのに……」。セルは回らず、頭の中を疑問符がぐるぐる回る。
整備工場へ。セルが回らない。バッテリーでなけりゃ、素人が考えてもセルモーター自体が故障しているのは明らか。セルモーターの作動音がしないんだもの。バッテリーではないということは、バッテリーの交換は必要だったのだろうか? とは思ったものの、とにかく車が動かないことには仕事ができない。すぐにでも直したいと申し出た。
しかし震災後まだ半年、その整備工場も津波で床上まで浸水し、代車も多くがやられたという。
代車を待つこと1週間。その間、1日、2回から3回、空振りするセルモーターに肝を冷やしながら運転。特に牡鹿半島の突端にある鮎川港に行った帰りには、そりゃ祈るような気持ちでセルを回した。

ようやくセルモーターを交換。その後はノープロブレム。やはりモーター自身の故障だった。「相棒〜!! もう勘弁してくれよ」。深いため息が出た。

そんな気弱な運転手をあざ笑うかのように、12月12日。今度はウオッシャー液出なくなった。セル同様、「ウィーン」というモーターの作動音がしない。4度目の整備工場。
冬場、ウオッシャー液が出ないのは、ヤバすぎる。即座にモーターを交換。
電気系統不具合の波状攻撃にうんざりし、「ドイツ車とはいえ、外車はやはり故障が多いなあ。田舎の貧乏人が乗る車じゃないよ」と、故障の多さについカッとし、車中で愚痴をこぼした。
カッカしたのは運転手だけではなかった。ふと見ると外気温の値が「42℃」。完璧におちょくられている!! クリスマス間近の石巻市の午前10時過ぎの気温が「42℃」ときたもんだ。日本の最高気温を更新できるぞ! てやんで〜!!

外気温計は、今年3月15日、私の54歳の誕生日の前日。午後4時42分。「69.5℃」を記録した。地球温暖化もここまで来たか!とへたな冗談もむなしい。これ以上、気温が上がらないのは、たぶん「70℃」という表示がないからだろう。そりゃあ、ないに決まっている。

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あり得ない外気温を表示するのヴィー太君の計器 #12.

まあたかが外気温計だ。交換するまでもない。そう割り切った。しかし実は影響があった。暖房の効きが悪くなったのだ。外気温69.5℃で、暖房するバカはいなかからか? オートエアコンなので、外気温計とエアコンはやはりリンクしているのだろう。仕方ないので「Hi」モードで暖房してしのいだ。エアコンの設定温度を「28℃」に設定しても冷風が出たのだから。
「もう何でもありだな」。そんな気持ちになった。
そんな気持ちに寄り添ってくれるのが、相棒というもんだ。寄り添い方が問題なのだが。

4月27日。大雨の中、気仙沼に帰郷途中のことだ。突然、ウインドウガラスが曇った。
しかも三陸道に乗り入れて、わずか5分。まずい! 拭いても、拭いても曇る。仕方ないので、窓を全開にした。雨が車内に容赦なく入り込んで、ずぶ濡れになったが、仕方ない。後で考えると、暖房にすれば良かったのだが、エアコンなしの車を運転した経験はなく、対応できなかった。「曇ったらエアコン」。それはエアコンが故障していないから通じることだ。
そうエアコンが故障したのだ。次のインターで三陸道を下り、コンビニで購入した「曇り止めシート」で窓を掃除した。しかし長年の汚れがこびりついており、少しは良くなったとはいえ、曇りは完全には取れなかった。しかも雨脚はさらに強く、土砂降りになっていた。気仙沼まで長く、恐ろしいドライブとなった。特に対向車のライトで視界が絶望的に悪くなる。対向車が来たら減速し、時には停車してやり過ごし、普段なら1時間半の片道、それが4時間を要した。

5度目の整備工場。エアコン、しかもオートエアコンの場合、とにかく故障の原因はたくさんあって、ダッシュボードを外し、さまざまな検査をして見ないと、コンプレッサーなのか、その配管なのか、電磁クラッチなのか…。プロ泣かせなのだという。「幾ら掛かります? 」「重篤な原因だと10万円掛かることもあります」「えっ? 」。絶句した。
エアコン修理は断念した。車検は来年の4月。故障の多さから、更新しないことを決めていた。とりあえず窓を徹底掃除し、暖房で曇り止めをする技を手に入れた。
もう窓、フルオープンで夏を乗り切ろう! 暖房は効く。後、10カ月の我慢だ。震災後、海水で冠水した道路も走ったな相棒! 君がいなけりゃ、取材できなかった。そう優しい言葉を掛けた。

そんなホットな言葉に応えるかのように、5月に入ると、のヴィー太君は、始動時でもないのに、暖気運転をするようになった。エンジンの回転数がぶいぶいと高回転で「おれは、ビンビンだぜ。どうだい? ワイルドだろう〜#13.」と(^^);
徐々に暑くなる中、取材しては車に乗り、また青空駐車しては、車に乗るというのが田舎記者の仕事。暑い日が増すにつれ、やはり苦痛に。夏場に外食でラーメンなんぞ食おうものなら、髪の毛がぐっしょり濡れるほどの汗かき。これでは真夏を乗り切れるか ── と不安が高まっていった。
「万が一、駆動系やブレーキ、安全装置が故障したら…」と不安が膨らんだ。

最終的に相棒との決別を決意したのは、5月半ば。ワイパーが一瞬変な動きをした。止まりかけたように見えた。
その瞬間……。対面通行区間が長い三陸道を運転中、しかも夜、なかんずく大雨、なぜか雷雨、オー・マイガッ、熱帯夜にワイパーが動かない。そしてなぜかエアバックが膨らむ中、対抗車線にはみ出して、前からは大型トラックらしき大きめのヘッドライトの光が ── そんな恐ろしい想像が頭をよぎった。

「相棒よ。さらばじゃ」

早急に買い替えることを決め、その週末、知人のいる気仙沼のトヨタ販売店を訪れた。

        で「しりとり」よろしく、「ヴィ」つながりで#14.、ザ・ジャパニース・コンパクト・カー、トヨタの「ヴィッツ」に乗り換えた。
おお! 今の会社に就職後、3台乗り継いだ「スターレット」の系譜だ。女川湾に消えた「ウィル・サイファ」もシャシは同じとのことだから、ずーっと同じ#15.
ホンダのフィット、マツダ・デミオなども検討したけど、やはりなんちゅーのか、私の身体的テリトリーにピタッとくるのはやはり、スターレットの子孫ということなんだろうか?

意外だったのが、絵心ゼロにくせに色の好き嫌いが意外とあるということ。一番好きな色は特別バージョンだったけど、それを選んだ。日本語で表現すれば、「灰色を混ぜ込んだ青」(笑)。ギッチョム・バージョンで、ドアミラーとかシルバー塗装。
納車後、女川町で新相棒とパチリ。アイドル・ストップ車で、これを書いている8月9日現在、燃費はリッター18.2キロ。カタログデータでは21.8キロだけど、エアコンがんがん使っているので、御の字かな。

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新相棒 灰色を混ぜ込んだ青色の Vitz とのりおくんの2ショット#16.

ちなみに「ヴィッツ(Vitz)」の名前はというと、英語で「鮮やかな」という意味の「Vivid」と、ドイツ語で「才気」「機知」を示す「Witz」をもじった造語だという。才気を集め、機知に富んだ復興を鮮やかに成し遂げる日に向け、再び我が祖国・日本の相棒ともに取材に駆けずり回ろう。

震災後、わずか15カ月間の相棒だった「のヴィー太」。相性が悪かったのだろうか?
確かに故障連発で、運転手を翻弄してくれたが、致命的なミス一歩手前の寸止め状態。今思い出すと、あの悲惨な大震災直後、お笑いハプニングで、ヤワな私を鼓舞してくれたのかもしれない。
そう。未曾有の災害の最中、「のヴィー太」とガタピシと被災地を駆け巡ったことは一生忘れない思い出となった。彼も老骨にむち打ち、最後の力を振り絞ってくれたのかもしれない。
忘れられない景色がある。昨年5月中旬。牡鹿半島で壊滅した浜に、ブルドーザーで応急復旧させた道。所々に潮だまりがあった。ロデオ大会よろしく、私を乗せた「のヴィー太」はガツンガツンと跳びはね、走破した。ジープでなきゃ行けないような状態だったが、「のヴィー太」はたくましかった。非常時の助っ人として、ドイツの相棒が来てくれたのかもしれない。
そう考えると「のヴィー太」と私の相性は悪くはなかった。

「のヴィー太」でガタピシ道を走っているとき、ポール・マッカートニーが愛車のことを歌った「愛しのヘレン」、そのメロディーが鳴っていた。サビの歌詞は「ヘレンが車輪の上で大暴れ、誰も彼女の気持ちは分からない」。これからもこの曲を聴くたびに、「のヴィー太」と過ごした、土煙と潮水が混じったがれきの街を駆け回った震災直後を思い出すことだろう。


( のりお )

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あずみによる脚註
にしても、のりおくんと機械の相性の悪さってのは、呪われてるレベルだよなあ。もしかして、ギッチョってのも関係あるかもしれんねー。

1.) 外付けハードディスクにおちょくられたり:
どんだけ激しくおちょくられたのかは「GAI HARD との暗闘」▼参照してね。(この項 あずみ)
2.) 「プッ」という音ともに下り、永眠した:
しょうがないので、メーカーに電話すると……。
「前例がない故障なので、状況を詳しく教えてください」
「いや、説明もなにも、CD1枚聴いたら、うんともすんともいわなくなっただけです」
「落雷とかありませんでしたか」
「ありません」
「ふーむ…。何か思い当たることありませんか」
(おれに原因があるってか……。) ごく普通に配線して、ごく普通にCDを聴いただけです」
「……。」
あからさまに、こちらの非を探して様子がありありなので、
「まさかCD1枚分だけ聴ける、使い捨てアンプじゃないですよね」
と嫌みを言うと、電話の向こうで明らかにムッとした様子が伝わってきた。いまだに原因は不明だ。結局、無償交換し、その後、ノープロブレムだ。(この項 のりお)
3.) 耳障りな音を出し、閉口した:
パソコンのスリープを解除したときなどに「ギュイ〜ン」と、神経を逆撫でする異音が発生した。しかも、どのような状況で、発生するかはまさにランダム。
マイクのプラグを、スピーカーにいきなり突っ込んだときの、あの耳障りというレベルを超えた不快な音には耐えられなくて (しかも不意打ち)、結局使わなくなり、最期は単身赴任中のアパートで水没した。
(この項 のりお)
4.) 震災後買ったつり下げ式の蛍光灯照明:
大型量販店に山積みしてあった国産品。
人生で一度も蛍光灯の故障品に遭遇したことがないのに、なぜか震災後初の買い物が、よりによって故障してた。
二つある蛍光灯のうち、一つがつかなかったが、震災後のごたごたで保証期間が過ぎ、今でもやや暗い照明の下で単身赴任生活を送っている。
(この項 ここまでのりお)
その蛍光灯の写真をよく見ると、点いてない方の蛍光管のプラグが外れてるんだけど、これは安全のためにワザと外しているんだろうね。なんか、わたしも疑いたくなるなあー。(この項 ここだけあずみ)
5.) 明らかに疫病神扱い
わたしも、のりおくんのエラーの後始末を何度もしてるけど、ふだんは慎重なくせに、やってはいけないことだけはセッカチにもすぐやってしまう性向があるんだよねー。(この項 あずみ)
6.) 夕日にたたずむ WiLL Cypha
2011年2月5日。夕日を撮影しようと石巻市河北町のビッグバン駐車場で撮影。この1カ月後に奇禍に遭遇するとは…。(この項 ここまでのりお)
いまは亡きウィル・サイファの、お笑いハイテク機能については「ナタの連打的親心」▼をご覧下さい。(この項 ここだけあずみ)
7.) 外車らしくない OPEL VITA
石巻市のアパート駐車場。外車には絶対に見えない風貌が好きだった。(この項 のりお)
8.) 派手な下着を含め古着をもらった:
その派手なパンツの柄と、WiLL Cypha がどんな最後を遂げたのかについては、「2011年3月11日」▼をご覧下さい。(この項 あずみ)
9.) 「のヴィー太」(笑) と命名:
この寒すぎるオヤジに付ける薬はないのかー。本人がのび太みたいだし、この色だから、2トーンに塗り分けてポケットつければ、ドラえもんになるのに。
10.) 慎重運転でどうにか石巻にたどり着いた:
この件については本人から、「本当なら運転してはいけない故障なのだ。今は反省している」との反省文が届いてるので許してね。
11.) 工賃と合わせ約4万円はちと痛かった。:
焦ってたからしょうがないんだろうけど、あのねー、バッテリーなんて容量だけ合ってればいいんだよ。外車のディーラーはそんなところで儲けようとするから嫌いだ。オートバックスあたりなら、国産の高品質なやつを5000円くらいで交換してくれる。差額で豪華ボックスセットCDを2組くらいは買えたのにねー。
12.) あり得ない外気温を表示するのヴィー太君の計器 :
史上最も暑かったのが1921年イラクのバスラで観測された、58.8℃といわれているから、70℃以上の表示はいらないのだね。にしても、3月15日という偉大な記念日にのりおくんをおちょくるなんて偉いぞのヴィー太
13.) どうだい? ワイルドだろう〜 :
2012年前半に流行していたスギちゃんのギャグだが、これをのりおくんが書いていた 2012年8月前半はロンドンオリンピック一色で、すでにスギちゃんは忘れられつつある。芸能界って怖いねー。
14.) 「しりとり」よろしく、「ヴィ」つながりで :
しりとりなら、ヴィではなくてタでしょう。ダイハツタントにすればよかったのにー。タントなら孫ができてもウオークスルーでOKだし、ヴィッツよりも低燃費、停止前にエンジンが切れるエコアイドルだし。
15.) ずーっと同じ:
のりおくんは、ビートルズと決めたら43年ビートルズだし、スパゲッティには40年タバスコだし、ヒロイック・ファンタシーは32年「グイン・サーガ」だしね。死ぬまでスターレットに乗るんでしょうか。つうことは、のヴィー太の立場はなんなんでしょうねー。(この項まで あずみ)
16.) Vitz とのりおくんの2ショット:
2012年7月11日。女川町で、新相棒と。写真右奥には命を救われた女川町役場があったが、解体された。(この項 のりお)




どーでもいいけど、Vitz と VITA って一字しか違わないんだねー。