pinあきの三年間
(佐藤家の日常から51)
yoko
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あきは女子高を卒業した。#1.


あきが3年間年お世話になった、というかお騒がせした鼎が浦高校。
あきが学校の皆さんに多大なる迷惑をかけた罪滅ぼし(笑)の意味も込め、PTA会報の編集委員という大役を2年間、お引き受けした。とは言うものの、やることといえば、会報の方針を決めることと、編集後記を書くことぐらい。編集方針もほとんどは前の年の会報を踏襲するだけで、ほとんど担当の先生におんぶにだっこの有様だった。
やることはつまり200字程度の編集後記を書くことだけ。とは言うものの、「書く」ことに異常に執着するタイプ#2.だし、何せ素材は、あきちゃん! 佐藤家の日常のPTA会報版となってしまった。「編集後記で笑いを取る!」という姿勢に、眉をひそめた人もいるだろうが、まあ楽しんでいただいた方が多かったようだ。せっかくなので、このホームページで公開したいと思う。このコーナーでネタにしたものもあるが、あきちゃんの「ズンドコ高校生活」のダイジェストとしてご覧ください。

2002年7月・あき2年生の夏の会報編集後記

母親の靴を履いて登校し大騒ぎした「靴紛失事件」をはじめ、周囲に数々の迷惑を振りまき、クラスの「何でも投票・天然の部」でぶっちぎりの17票をゲットしたズンドコ娘も無事2年に進学。
ガソリンスタンドの店員がハンサムだったのに舞い上がり「レギュラー大盛り」#3.と注文する能天気な母親(鼎OG)の血と、W杯サッカー観戦に熱中するあまり、テーブルに蹴りを入れ悶絶した間抜けな父親のDNAに悩みつつ、今日も元気に学校に通っている(休校日にも一度、堂々と登校した)。
おう盛な食欲と無謀な明るさを武器に、今年もスットコドッコイ・パワー全開で元気に学校生活を送ってほしい。…でも周囲への迷惑は最低限にしてね。
(2年:佐藤 紀生)

うーむ(笑)わずか1年半で、鼎史に残る「靴紛失事件」と「開校記念日登校事件」を引き起こしている。その間にも、「通信表置き去り事件」「財布紛失事件」など天然ボケの小爆発はポンポンあったのだから、あっぱれである。

2003年3月・あき2年生の修了時の会報編集後記

佐藤家には「人さまに迷惑をかけてはいけない」という家訓があり、家族全員が日夜、研さんに励んでいる。もちろん娘も同じで、修学旅行でも順守した。USJのジェットコースターでは、鼻水を飛ばすのを最小限にとどめた。
京都の茶店では友達の食べ過ぎを防ぐため、団子を取っ返した。オプションツアーとして急きょ組み込まれた「救急車ドライブ&大阪船員保険病院一泊朝がゆ付き」もしとやかにこなした。あっぱれである。かっぽれである。
鼎千日画報には、銀歯をきらりんと光らせて京都の神社に参詣する様子が収められており、家訓を肝に銘じる娘に父は涙したのであった。
あと一年。同級生、先生方には娘が家訓を守り通すように鋭意ご指導を願う次第である(…本当にすみませんです)。
(2年:佐藤 紀生)

これは伝説となった「修学旅行腹痛事件」ですねえ。重ね重ね、振り回された皆々さまに陳謝しますです。

2003年7月・あき3年生夏の会報編集後記

椎名林檎は「新宿の女王」かもしれないが、我が娘は「忘れ物の女王」である。鼎生一だと父は信じて疑わない。
先日は財布、携帯電話、教科書など八個も忘れて登校した。命の次に大事な弁当だけはがっちり持って行くあたりは侮れないが、それとて玄関で、ばーさんが毎朝チェックしているお陰だ。何せ中学の時、通学鞄を忘れて帰宅した強者だ。母親に至っては小学時代にランドセルを忘れて登校した過去がある。四十歳を過ぎてからは、自分の年すら忘れている(確信犯か?)
母娘とも「もう忘れ物はしない」と心するのだが、翌日はそう誓ったこと自体をすっからかーんと忘れている。さすがに女王の系譜なのである。
いよいよ受験生。忘れ物が多いのは仕方がない。でもなぜ勉強するのか —— という目的だけ忘れないほしい。母親の方は入学した時点で忘れてしまった。この点については王位継承権を放棄してね。女王様。
(3年:佐藤 紀生)

うわ!ひどい父親(笑)これだけ母娘を笑いものにしていいのだろうか?#4. でも真実なのだから仕方がない。教室でも、各保護者の夕食の席でも笑顔が広がったのだから、これでいいのだ!

2004年3月・あき3年生卒業時の会報編集後記

ご卒業、ご進級おめでとうございます。
強力なおしゃべり速射砲を標準装備した我が家の「どうだれ、こうだれ」娘も無事に卒業に漕ぎ着けました。先生方をはじめ皆様の、人智の限りを尽くした指導と、宇宙人が関西弁をしゃべっても驚かない天文学的な理解力、ごみ屋敷を黙々と片づけるがごとき途方もない忍耐力に感謝いたします。
コールドプレイという当代一のロックグループの歌「イエロー」。「すべてが君のために輝いている」というフレーズを卒業生の皆さんに捧げます。それぞれの進路で未来をつかんでください。
(3年:佐藤 紀生)

水泳大会での「まとりくす」防御やら、最上級生になっても、天然ボケパワー全開である。秋からは、炎の受験生となり、それはそれでなかなかパワフルな日々であった。さすがに高校卒業なので、父としてすこしセンチな文章になっているのが、少々照れくさい(笑)
あきのクラスは鼎が浦高校三大行事の、水泳大会、合唱大会、そして最大のイベントである文化祭、その中でも乙女の意地とプライドがしのぎを削るクラス発表の部で、いずれも優勝を果たしている。あきもその一翼を担ったということで、本当にいい学友、級友に恵まれた。高校時代に一生つき合える友達ができるというが、掛け値なしにいい3年間だったようだ。
ということで、鼎でお世話になった皆々さま。3年間大変、お騒がせしました。

( のりお )

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あずみによる脚註
まあ、あきちゃんが気仙沼を離れる年ごろになるとはなあ。月日が過行く早さは驚くばかりだ。
1.) あきは女子高を卒業した:
東京の大学進学も決まってめでたいのだが、おじさんはやっぱり寂しいなあ。
2.) 「書く」ことに異常に執着するタイプ:
本職の原稿よりも、ずっと熱心に書いたに違いない。間違いなく職場でも執筆していたな。
3.) 「レギュラー大盛り」:
つまり、レギュラー満タンと云いたかったのね。
4.) これだけ母娘を笑いものにしていいのだろうか?:
って、50本以上もこんなこと書いてきてるのに、いまさらそんなこと云ってもなあ・・・。




しかし、あのエレガントな(鉛筆の削りカスをかぶった)あきちゃんが大学生とはなあ。
ともかくおめでとう! そんで大学生になってものりおくんは取材は続けてね。