![]() (佐藤家の日常から102)
![]() ![]() ● 東日本大震災から10年が過ぎた
季節は晩秋へ。気仙沼でも紅葉が色濃くなってきた。今年も、あとわずか。早いもんだ。1年遅れの東京五輪はあったが、総じてコロナ禍一色 #1. の1年だった。もうすぐ令和4年が来る。
「ゆーた、正月って、帰って来れんのか?」
「う~ん。たぶん無理」 「3年、帰ってないんだけどなあ」 「まあね」 「難しいのか」 「しきたりだし、オレ新人だから」 「そうか」 「うん、うん」 「じゃあ、いつ帰って来る?」 「来年も、お盆には」 「…ギャグのつもりかよ」 「うへへ」 「…笑えないって」
「おれは鉄兵」 #2. の鉄兵と、目を同じく三日月の形にしてほほえむ、ゆーた。
目を開けると、仏壇に飾った写真の中のゆーたと目が合った。
2018年11月8日。ゆーたは28歳の若さで、あっさりとあちらの世界へと旅立った。大学進学以来、就職しても東京・八王子のアパートで独身生活を満喫していたが、インフルエンザをこじらせ、そこが発端だったのだろう、最悪の多臓器不全に陥った。
同僚が、亡くなる2日前にアパートを訪ねてくれ、その際、ゆーたの顔色が尋常じゃないので、「もう一度、病院へ行け」と助言してくれたが、ゆーたは「大丈夫」と笑って応じたという。
しかし。2日後、LINEのやりとりも「既読」がなくなり、再度、同僚が訪れた際には、既に事切れていた —— という。
管理人から報を受け、すぐに安置された警察署に急行した。気仙沼を出て6時間弱。日はとっくに暮れていた。同じく都内に住む、あきがいち早く駆け付け、気丈にも1人で弟の遺体に寄り添ってくれていた。
白いシーツの中、ゆーたは静かに横たわっていた。
「もう少し寝れば、治るっちゃ」
のんきそうに見える顔が、そう言っているようで、私とガイは泣きながら「バカ」と声を掛けた。
検視した医師の「苦しんだ様子はありません」との説明が、せめてもの救いだったが。
余りにも突然で、余りにも想定外ゆえ、その喪失感は大きい。風邪もほとんど引いたことのない健康が取り柄の、ゆーた。その油断があったと思う。
震災で多くの人が亡くなった。幼い子どもを失った人、未だ帰らぬ行方不明の家族を待つ人など、多くの人がいたし、取材で会う機会も多々ある。
そのたびに家に被害もなく、家族も全員無事だった私は、その痛みを知るよしもなく、「肉親、ましてや子を亡くした人の悲しみなんて、想像すらできない」という無力感に襲われた。そんなぼんくら記者に、これほど痛烈な「ならば、分からせてやる」#3.はないよ。
ゆーたは、もういない。その事実は時折、残された佐藤家3人の胸に、ぽっかりと穴が開いたままであることを突きつける。
ただ。1年がすぎ、2年の三回忌。そしてことしで3年目。普段通りの佐藤家の日常は戻りつつある。ゆーたと共に歩んできた年月。たくさんの思い出。楽しい、楽しい時間がいっぱい、いっぱいあった。
そして、そのエッセンスを集めたのが、この「佐藤家の日常」だ。
家族全員に「大事なとこに毛が生えたら市役所に登録する」と、真顔でだまされ、半泣きの表情を浮かべた、ゆーた。お姉ちゃんがガイお母さんと、丁々発止するのを横目に、ばーさんの作ってくれたアイスコーヒーをおいしそうに飲む、ゆーた。
ここには、そんな、ゆーたが生きている#4.。
ゆーたが亡くなって、もはや継続できないと考えたが、今回、ゆーたがいてくれた幸せに感謝したく、ここの中締めとして書き置きたいと思った。
死後、伝え知った同僚、元アルバイト先の仲間、学生時代の友人らが、合わせて14人、車に分乗して、わざわざ気仙沼まで弔いに来ていただいた。
「ゆーた、お前、ひと様に愛されていたんだな」
親としては、若くして亡くなったことに衝撃を受けていた中、とてもうれしかったよ。
でもなあゆーた、おまえもしかして28歳の姿形のまんまか? お父さん、お母さん、お姉ちゃんは頑張って(いや、お母さんとお姉ちゃんは頑張らなくても)まだまだ、こちらでドタバタする。今度、面と向かって顔合わせたときに、おれはともかく、お母さんやお姉ちゃんに「2人とも、ばーちゃん以上に年取ったねえ」と、口を滑らすなよ。お母さんと、お姉ちゃんに殺されるぞ(笑)
こちらで頑張る決意を固めた佐藤家の残党、3人についても簡単に報告しておきたい。
私は2018年3月末をもち定年退職。同年4月から、同じ社のシルバー嘱託として石巻本社で、石巻地方に発行する新聞の記者を続けている。震災復興の柱として整備した三陸道が通勤路。ドア・トゥ・ドアで1時間15分。通勤圏だ。63歳になったが、田舎記者として石巻、東松島市、そして18メートルの津波を見た女川町#5.を駆けずり廻っている。立場は一兵卒の「遊軍」。何でも屋だ。社員のお手伝い、球拾いだ。何歳になっても現場に行くのは楽しい。65歳でお役御免になるまで、生涯一記者を全うしたい。
2015年1月に刊行された猪瀬直樹著「救出ー3・11気仙沼公民館に取り残された446人」で、気仙沼側の当事者約20人の聞き取り取材を担当した。今年、文庫化(小学館)された。「あとがき」に、「三陸河北新報社の佐藤紀生記者」とあり、些細な刻印だが、いい仕事をしたと自画自賛している。
ガイは相変わらず。コンビニの仕事は週3日にし、トコ姉ちゃんと、栗や柿の皮を仲良く剥いたり#6.、家事を含め、いつもなんだかんだと慌ただしく飛び回っている。私とのドンパチは、もはや漫才の域に達している(美化)。
あき。なんと2020年10月に結婚。よくぞ、あきを受け入れてくれる奇特な男性が現れてくれたもんだ。返品は一切、受け付けませんので、あきらめてください。
これまた巡り合わせか、旦那さんは、ゆーたと同い年。とはいえ、精神年齢では、あきより上と思えるほど頼りがいがある。よろしく頼んます。
そうそう。気仙沼に来るたびに、はたまた東京に行くたびに、毎回4人で大貧民大会。今後も継続するのが「佐藤家の日常」なので、こちらもよろしく!
あきが芸名・佐藤千晶でする仕事のうち、今年3月で52年の歴史に幕を下ろした文化放送の深夜ラジオ「走れ!歌謡曲」。アンカーとなった5人のパーソナリティーの1人として無事完走した。
さらにNHK朝の連続テレビ小説「おかえりモネ」#7.で、「宮城ことば指導」と、さらに本職を生かした「アナウンサー指導」もした。画面に名前がクレジットされたし、本人も、朝ドラの制作に携われて、ステップアップの機会になったようだ。
結婚して以来、コロナ禍でなかなか、東京にあるあき夫婦の家の訪問ができなかったが10月下旬に、ようやくガイと2人で訪問できた。旦那さんの親族の方ともご挨拶させていただいた。
そして40年以上通っている台湾料理店に4人で行った。昨年はコロナ禍で初めて断念。復活した。
その時に、いつものガイ&あきのドタバタがあった。
「佐藤家の日常」は、今102話を持って、とりあえずの中締め。手締めは、やはり佐藤家の黄金コンビ「ガイ&あき」の「いつものドタバタ」にお願いしよう。
あきは、旦那さんからプレゼントされたお気に入りの靴を履いていた。料理店到着直前で、空にはまん丸お月さん。セーラームーンに夢中だった、あき。そして月を見ると野生の血が騒ぐのか、やたらと興奮するガイ。それぞれがスマホを取り出し、パシャ、パシャ。
「痛っ!」
叫ぶ、あき。
「あっ、ごめん」
「今日、2回目だよ!」
どうやら、写真撮影に夢中なガイが突然、いいアングルを探すため唐突に、しかも大股でバックし、ガシッとあきの靴を踏んづけたらしい。
「1日、2回も足踏まれるなんて、初めてだよ!」
とお気に入りの靴なだけに#8.、怒るあき。
「ちょっと後ずさりしただけで、普通、そこに足ある?」
出たっ!ガイの得意技、言葉の小股すくいからの、うっちゃり。
まず、「ガバッ」と後退したのを「ちょっとの後ずさり」と、事態を矮小化し、そこに「不用意に足を置いていた」あきの過失へと、無理くりにねじ込んでいく得意技である。
にしても確かに午前中、旦那さんの職場がある東京スカイツリーでも、むんずとガイが、あきの足を踏んでおり、この親子の因縁に巻き込まれたプレゼント・バイ・マイダーリンの靴も不憫ではある。
しかし、その後。
あきは、当然のごとく反撃を開始。
「1日で2回も人の足を踏む人に会った経験なんかないし、たぶん、お母さん以外、いないと思うよ。『普通、そこに足ある?』って、何それ? それ私から言わせれば『普通じゃいないのが、お母さんだよ』。足踏まれて、なんで私が悪い訳?」(以下、略)
あきは、職業柄、その強度と精度を磨き続けた超高速・速射おしゃべり砲で対抗。ガイのうっちゃりを見事にかわし、どんどん土俵際に追い詰め、最後は、がぶり寄り。
「申し訳ございませんでした」#9.
と、ついにガイを謝罪へと追い込んだ。
いつもながらに見応えのある闘いであったw#10.
しかし。いまどき、靴を踏んで親子げんかするなんて、あまりにもコテコテの昭和テイストな風景に、私は「佐藤家の日常」が継続していることを確認したのであった。
人生で一番、恐ろしかった震災の日々を乗り越え、人生で一番悲しかった3年前の11月を胸に、佐藤家の日常はまだまだ続く。
ということで、ゆーたよ。そっちで、じーさん、ばーさんと仲良くな。たまにはこちらに遊びに来てもいいぞ。いつ来る?#11.
「う~ん、お盆に(笑)」
「だから。そのギャグ、まだ笑えないって」 「うはっ」 「じゃあ、またな。それまで元気でなっ!」 「お父さん、そのギャグの方がつまらないよ」 「そうだな」 「そうだよ」 「ふっ」 「うはは」
じゃあ………、またね。
( のりお )
![]() ![]() ▲ あずみによる脚註
20年以上続く佐藤家の更新が停止していたのには、こんな悲しい事情があったのです。そのほかにも、So-net のユーザーホームページエリアの停止により、このホームページが消失するということもありました。今回独自ドメインを取得し復活させましたが、これまでご覧いただいていたみなさんにホームページの復活が届くといいですね〜
1.) コロナ禍一色:
2019年中国武漢市近郊で発生が確認された新型コロナウィルスは、2020年にはパンデミック(世界的流行)を引き起こし、日本でも4月には緊急事態宣言が発令され、その後も何度も波のように流行が繰り返された。これを書いている2021年11月20日は日本ではかなり落ち着いているが、世界的には収束が全く見えない。世界で数億人が感染したとされ数百万人が亡くなったとされている。山中伸弥さんの関連ホームページ▼ 国立感染症研究所関連ページ▼ 日本でも、コロナ以前と全く生活が変わってしまった。
3.) 「ならば、分からせてやる」:
諸行無常とは云うが、こんな悲しみと向かい合わなければならないとは、本当に残念で無念であろう。そう云うことは繰り返されているのだろうが、それにしても悲しいことだ。
4.) そんな、ゆーたが生きている:
脚注あずみは、実物よりもこちらのゆーたの方をよく知っているので、彼はまだ生きている気がする。ゆーたの面白いお話はたくさんあるのだが、「大事なとこに毛が生えたら市役所に登録する」見てこうもん▼ 、毛はえ登録▼、アイスコーヒーをおいしそうに飲む小学生からやり直しても同じか?▼、教科書救出大作戦▼。その他にも、やさしくマイペースで少しエッチなゆーたは、球児・ゆーた▼、 フェンスを越える王子▼、佐藤家の日常特別編▼、ここに生きている。
7.) 「おかえりモネ」▼:
気仙沼市と登米市が舞台となった、NHK朝の連続テレビ小説。全国的にどうだったかは分からないが、気仙沼では大いに盛り上がった。特に佐藤家では例によって大変だった。終了した今、気仙沼と佐藤家はいわば「モネロス」状態にあります。
8.) お気に入りの靴なだけに:
お気に入りの靴は、旦那さんが結婚祝いに買ってくれた靴だから、なんだよ❣️ それを踏んだ母(怒)。(この項:あき)
9.) 「申し訳ございませんでした」:
これ、ガイの完敗、心からの反省 —— かというと、実は違う。 この慇懃な物言い、どこかのドラマか何かで仕込んだらしく、最近、ガイが多用しているからだ。 この間も、私の昼食「おにぎり&ゆで卵」に、付けるインスタントみそ汁。「みそ」と「具」の組み合わせが楽しいのだが、この間、「みそ」の小袋がなく、「具(わかめ)」と「具(豆腐)」が入っていた。「みそ汁」なのに、「みそ」がないので、仕方なく、ゆで卵を食べるため持参している「食卓塩」で、「わかめ&豆腐」のインスタント「うしお汁」にして、飲んだ。 が、うま味成分がないゆえ、それはまるでワカメ養殖をしている気仙沼湾の海水を、薄めて温めた、つまり温「海水」そのものであった。 そのことを告げたとき。ガイは涙を流して大笑いをし、そして最後にバカ丁寧なお辞儀とともに「申し訳ございませんでした」とw つまりガイにとっての「申し訳ございませんでした」は、最大級の謝罪言葉ではなく、佐藤家の日常的に翻訳すれば「あはは、やっちゃった。まあ許せよ。いいっちゃ、いいっちゃ、あはは!」となる。 この辺の目に見えない攻防も、「ガイ&あき」のドンパチ観賞の上級者としての、たしなみなのだ。 ゆえに、ガイは完敗したかにみせて、次のあきとの闘いに向け、既に、気持ちを切り替えていたのだ。(この項・のりお)
10.) 見応えのある闘いであったw:
![]() ガイ役、ごん八。あき役、ごん吉。 ごん吉は、「リラックマ」好きの、ゆーたが八王子のゲームセンターでゲットし、佐藤家父が、気仙沼の自宅に半ば強引に持ち帰った。現在、佐藤家には、あきのクイズ番組珍解答(リラックマの伝説)▼にちなんで「ごん蔵」から3体が、仲良く並んでいる。「ごん八」は、股を大きく開いており、その野放図さと、一番、最後に佐藤家にやってきたということもあり、末っ子のガイのイメージ・キャラクター(あくまでも佐藤家限定の話だがw)。(この項・のりお)
11.) いつ来る?: ![]() (よく見るとカミキリムシのような気もするが…) 親子3人で、写真撮ったり、騒ぐも、帰るまで、じっとしていた。 遡ること1周忌の2週間前、石巻で取材中、市営グラウンドの芝生を歩いていたら、同じくらいの大きさのスイッチョンが飛んできて、私のシャツの右腕にとまった。突然だったので、反射的に追い払おうとしたら、さっと芝生に降りた。 不思議なのは、その2時間後、今度は東松島市のショッピングモールで、街頭募金の取材を終え、車に乗り込んだら、右脚の太ももにいつの間にか、さっきより1回り小さいスイッチョンが乗っていた。 一度、閉めたドア開けたら、さっとアスファルトの上へ。その後、3分ほど、見下ろしていたけど、動かず。 信心深くないが、つい「ゆーた、お前か?」とつぶやいた。(この項・のりお)
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